自分の抑うつ症状の体験とほぼ治るまでの道のり

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2015年7月から始めたこのブログももうそろそろ満5年が経とうとしています。

大学で適応障害になり抑うつ症状が出て、もう限界だと悟って院を辞めて、自分の持っている情報を記録して自他共に役立てたい(あとお金欲しい)と思って始めたブログがもう満5年。

当時から続く身体的・精神的不調、考え方の偏向が8割がたは治ったかな?あまり気にしなくてもよいレベルになったかな?と最近やっと思えるようになりました。

加えて、当時を振り返ってもそこまで辛さはなくなってきたので自分の抑うつ症状の体験とここまでの道のりを覚えている範囲で書いておこうと思います。

※多少のフェイク入ってます。それと、自分の体験というだけなので同じように悩んでいる方は「こうならなきゃダメだ!」と受け取る必要もないです。

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大学・大学院に入る前

まず、実際の症状やその経過を語る前に、それまでの自分の様子を簡単に言っておこうと思います。

話は遡りますが、幼稚園・小学校時代から「覚えが早い」タイプで良く褒められていた記憶があり、『褒められると嬉しい→もっと褒められることをしよう→周りの期待に応えよう』みたいな図式が出来上がっていきました。

「褒められると嬉しい!」と感じるのは良いんですが、それが最終的に『周りの期待に応えよう』の部分になってしまったおかげで、そこにストレスを感じるところがあり「いや、自分がしたいことがしたい!」みたいな願望からか何度か非行的行動をするんですがそれは親に封殺された感じがあります(気持ちを分かってもらえたと納得しての収まりではない)。

そのおかげで、「自分はしたいことをしてはいけない。」というように無意識に学習してしまい、「周りの期待に応える>>>自分のしたい事をする」という図式がしっかりと出来上がったのだと思います。当時は「ああ、やっぱり悪い事しちゃいけないんだ」くらいにしか思ってなかったですけどw

中学でもその価値観は続き、勉強・運動・生活面などでほぼ周りの期待通りの成果を出せており、かつその結果部分だけを評価されるようになっていたので、だんだんと「周りの期待に”応える”→周りの期待に”応えないといけない”」と半ば強制的な、むしろ「それが俺の価値だ!」みたいな価値観になってきました(中学時代に一時期ストレスでヘルペスができました。今考えるとこのあたりのストレス?)。

また、ミスした際に「だからお前はダメなんだよ!」というようなマイナスのフィードバックで自身を鼓舞するようになったのもこのあたりから。自身に鞭を与えていくやり方ですね。これを続けたせいで、「結果を出すのが当たり前、結果を出せないのはダメ。」みたいな考え方にもなっています。

その後地元の進学校的な高校に進学が決定したので、受験終わりから浴びるようにゲームをした結果、入学後の最初のテストで今までの成績から考えると考えにくい結果がでました。その結果を親が受け入れ、「もう期待にこたえなくてもいいんじゃね?」とタガが外れたのか、高校の授業中はほぼ寝てるほど徹夜でゲームして成績も急降下し、一時期は数百人の内ドン3くらいに。

ここで、自分自身のしたい・してみたい事に沿った決定をしたら良かったんでしょうが、根っこにある「周りの期待に応えないと価値がない」は根強く、結局は周りの(てか親の)期待に応えるためにアホみたいに勉強して地元の国立大学に行きました。

その大学に入った時も「自分はこの学科でこういうことがしたい」みたいな事は言ってたんですけど、今考えると心からそう言っていたようには思えないんですよね…。

そんなこんなで入った大学なので、特に勉強に対してもやる気は湧かず、やりたい事やるかとサークルやゲームに大忙しで単位もあらかた落とす始末(が、サークルやゲームでのめぼしい結果にはつながらず)。3年頃からさすがにやばいと単位をしっかりとり始めて、卒業の目途をつけたうえで問題の4年生になりました。

なので、4年に上がった時は「しっかりと研究をやり遂げよう!」と卒業研究に取り組み始めました。ちなみにここから一人暮らしです。

 

ここまでを考えると、「周りの期待に応えないと価値がない」という価値観を打破しようと自分のしたいことを時々やり通そうとしてるんですが、特に自分の納得できる結果も残せず周りからも認められず、最終的に周りの期待通りの事をやりそれがまた認められるので「ああ、やっぱり自分のしたい事より周りの期待に応えていった方が良いのか」と、より「周りの期待に応えないと価値がない」の価値観が強化されていった…という感じですかね?

問題の研究生活

『問題の…』といっても最初は順調で、卒業研究も着々と結果を貯めつつやっていました。院試も合格して院への進学も決定。ますます研究に力を入れることに。

1月の卒業研究の仮提出も近くなった12月初め。いきなり教授から「その傾向でやっていくとダメじゃん?だとすると成果全然足りないじゃん?」との指摘を受けます。

「いや、ついこの前までこの感じで良いっていってたやん?」とは思いましたが、3年までほぼ遊んでいた奴が教授に反論できるはずもなく、急いで傾向を変えて各種実験を始めることになりました。

ここで問題だったのが↑でも言ったように「しっかりと研究をやり遂げよう!」と誓って始めた卒業研究だったので、「これは自分の力でなんとかしないといけない!」と他人に助力を求めずに各種実験を始めてしまったこと。

自分の研究能力はたかが知れているのに独断でやってしまったことで、1か月後には更にまずい方向に研究が進んでしまっていました。

「いやこれじゃねえだろ!」ともはや罵声に近い指摘を受けつつ、また研究を始めたものの『家は寝るところ』的な生活と「このままじゃ期待に応えられない」というプレッシャーによるストレス、もともとの性質の「自分を罰するような激励」のおかげで身体的・精神的にヤバくなってきました。

どんなところがやばかったかというと、

  • 毎日欠かさずやっていたゲームをしなくなった(したいと思わなくなった)
  • 性欲がなくなった
  • キャッチボールができなくなった(頭の感覚と体の感覚がリンクしていない感じ)
  • いつも研究の事が頭にある状態になった(焦燥感が取れない)

のような症状が出ていたこと。

このくらいの時は「今は研究が最重要だしこんなもんだろ。もっとやらないと。」と思っていましたが、今見るとこのあたりからもうおかしいですねw

年末年始を挟んで多少リフレッシュ…も全くできず、その後の連日の実験と罵倒を越えていったものの成果は中々貯まらず。

このころからパソコン作業でのミスや思考力の低下も目立つようになりました。徹夜しながら作ったグラフで間違いないと確認したはずが思いっきり間違ってたり、論理的な思考ができなくなったり…etc。

1月に卒業研究の仮の提出はしたものの正直内容は無く、体裁を整えただけのもの。この提出は仮といいつつだいたいの人はこの時点で卒業研究には触れなくなるのでほぼ最終版を出すべきなんですけどね。

ここでも「俺は多くの人が出来ることができていない」と自尊心をなくしますが、2月にはその研究成果の発表が迫っています。

もうこのあたりからが地獄で、ほぼ大学に泊まり込んでいるような状態でひたすら実験をして睡眠時間を削ってクソみたいになった頭と心で発表資料を作って教授に見せては怒鳴られて…。

このあたりの症状はというと、

  • 強い焦燥感、首の締め付け感、胸を刺すような痛み
  • 服装・髪・匂いなどを気にしなくなる
  • 時間感覚がおかしくなる(自分は大学に3日いたと思ったら周りに1週間いたといわれたり)
  • 考えが巡ってあまり眠れなくなる(不眠症)

もう完全に壊れてますが、自分の中では「だめだ、もっと頑張らなきゃ」です。もうそれしか考えてません。もう思考力もあったもんじゃないので、教授に何かを聞かれても頭真っ白です。ヤバイよね。

このあたりで一度「俺はもうダメだ」と深夜に決死の逃避行ドライブをして、道中で親に泣いて電話をかけて実家に帰って相談してるんですが、そこで「もうちょっと頑張ってこい」と言われて実家を追い返されてます。ひどい。

ここで、「あ、俺はやっぱりもう少し頑張らないとダメなんだ」と絶望して大学に戻った記憶があります。トドメを刺された感じでしょうかね。

※こう書くとあまりにもひどい親に思えるので一応書いておきますが、それまで全く親に相談せず全部こなしていたので「ああ、今初めて高い壁に当たってるんだな。踏ん張りどころなんだな」と判断されてこういわれたんだと思います。まあ実際はもう壁で玉砕して壊れてたんですけどね。

連日連夜の実験と資料作成を発表ギリギリまで繰り返してなんとか体裁を整えて発表は終了。

が、ホッとするとか心が軽くなったとか肩の荷が下りたとかそんな感覚は全くありません。症状はずっと継続。

このあたりでさすがに周りからも「お前ヤバいぞ」と言われ、自分でもこれはおかしいと感じたので大学の保険センターへ。睡眠薬や不安を抑える薬をもらいますが一向に症状は良くなりません。

そんな状態が続いたままさらに残りの卒業研究を終わらせてなんとか本提出。

これで卒業研究もすべて終わって一安心…するはずなんですが、症状は全く良くなりません。本当に。

心配した先輩や同期に遊びにつれていってもらったり、旅行に行ったりするも症状が良くなるわけでもなく、逆に「せっかく心配してもらってるんだから楽しまなきゃいけない、元気な姿を見せないといけない」とむしろとてもキツイ。

4月になると院に入学し、後輩もできたことで「しっかりしないと!」と授業や研究に向かいますがもうダメです。なにをしても頭に入ってこない。焦りしか頭にない。早く色々覚えなきゃ早くできるようにならなきゃ早く早く早く…。

そして5月の半ば。ついに布団から起き上がれなくなり、大学に行けなくなりました。エネルギー切れです。

「俺は期待に応えられてない、周りから失望されている。俺はもう価値がない。合わせる顔もない。」みたいな考えから大学の同期・先輩・教授と誰とも連絡を取ることができず、連絡がきても誰か訪ねてきても無視をして1,2週間は家に引きこもっていたと思います。

この間は上記した症状が継続し全く治る兆しもなかったので、「この先こんな痛みを抱えつつ生きていかなければいけないのなら、もう死んだ方がマシ」といった思いや、自信・自尊心・自己効力感といったものはことごとく折れていたので俺みたいなやつは何もできない。」という思いから、本当に何も、飯を食べたり着替えたり風呂入ったりと何から何までやる気がなくなっていました。

本当に周りには心配と迷惑をかけました。

※ちなみに、この12月~5月の一連の流れで6kgくらいは体重落ちたと思います。その後ほぼ体重は戻ってません。

動けるようになっての休学と退学

2週間くらいたった頃からやっと連絡だけは取れるようになり、とにかく生きてはいるということを同期には伝えたのがたしか6月初め。教授には会いたくもありませんでしたw

ちなみにこの時からもう大学に戻る気(戻れる気)はなく、「ああ、自分は今どの社会にも属していないんだな。何もないんだな。なんの価値もないな。」という孤独感と焦りを初めて味わいました。

これらの焦りから『働いて一人暮らししていくにはどれだけ稼がないといけない…』みたいな表を作っていた覚えがありますが、今考えるとそんなん考えなくていいから休みなさいって感じですねw

少し動けるようになってからは、ちょうど暇をしていた別の大学の友人に誘われて釣りに行くようにはなりましたが、これも「動かないとダメ」という焦燥感からの動きだったのでそれはそれはひどく疲れました。

正直この時はまだまだゆっくりしておくべきだったと思うんですよね。ただ、「早く良くならなきゃ」という焦りがあったんだと思います。月に十数回、毎回片道2時間かけて行ってましたけどw

その後、『適応障害からくる抑うつ症状』と診断書をもらい正式に休学。

このあたりで精神病院にもかかったんですが、その時当たった病院の先生の「どうせ大したことじゃないんだろ?」的な空気を感じて全く信頼できなかったことと、薬が全く効かなかったので1回で行くのをやめました。以降はずっと大学の保健センターにいってます。

で、8月ごろからこれまた「学校行ってないから少しは稼がないといけない」みたいな焦りから少しずつバイトを始めます。交通調査とか。

その中で、以前やっていた家庭教師を再び始めて生徒に教えている時に「ああ、今人の役に立ててるんだ。こんな状態の俺でも人の役に立てることってあるのか」と痛く感動した覚えがあります。だいぶ追い詰められてますね。

そんなこんなで色々とバイトをまわしつつ、12月・1月ごろにはもはやフルタイムで働いていたわけですが、元気になったという訳では全くなく、「大学にもう行けない以上、働かないといけない」という価値観・使命感で働いていました。

心の底では「今はとにかく動きたくない・休みたい」というものがあったし、それに従うべきだったと思うんですがまだまだ「周りの期待に応えないと価値がない」という価値観が根強く残っていたんだなと思います。

ただ、この頃は「バイクに乗るための金を稼ぐ!」というしてみたいことの為にお金を稼ぐ・働くという側面もあったので、100%価値観に縛られて行動していたわけじゃありませんでした。

そして大学に行かなくなって9か月ほど経った翌3月。結局大学に戻ることはなく、戻る気も起きず、自主退学することにしました。

ちなみに、この時もまだ大学に行くのはもちろん教授に会うことすら恐怖だったんですが、勇気をだして行った結果教授の第一声が「遊んでるんだって??」だったのには本当に驚きと怒りで一杯でした。頭おかしい。

自主退学してから

自主退学後は実家に戻りますが、それまで(表面上は)がっつりバイトなり遊びなりしていたために帰って即、自分に関するお金を自分で払うことになりました。

正直、この時点でもまだ休んでおくべきだったんじゃないかと今になっては思います。「あ、やっぱり期待に沿わないと価値がないんだ(自分は休みたいけど周りは動いてほしい)」という再確認になってしまったので。

でも自分から動かなければ何も変わらないのも事実なので、自分のできる範囲で動きつつバイクの免許を取ったりバイクを買ったり、完全に自分のペースで書けるブログを始めたり…としたいことの活動も増えていきました。

このあたりになると、対外的には以前とほぼ変わらないようになっていたと思います。大学外や大学内の友達と遊んだり、数は少ないですが定期的にバイトにもいけてました。

が、内面的には難しい状況でした。今までの価値観である「周りの期待に沿わなければ…」と新しく作ろうとしている「自分のしたい事をして良い」という価値観のバランス、明らかに無理が効かず疲れやすくなった体と心。

更にこの時はまだまだ焦燥感や首の締め付け感、胸を刺すような痛み、不眠症、希死観念などが強くある状況だったので、『元気な自分を演じている』感がすごかったです。

そこからは数日おき、数週間おき、時には季節おきに波を繰り返しつつ徐々に、本当に徐々に良くなっていくような状態です。痛みがないかと思えばふとしたことで心臓の痛みや首の締め付けがでたり、前向きに考えられていると思えば「未来に良い事なんてなにもない」と絶望的な気分になったり。

もともとが自分のしたい事をメインに行動を選べていたわけではなかったので、「そもそも自分がしたい事ってどう選べばいいの?今これがしたい事だと思ってやってるけど、本当に俺はこれがしたいのかな?」なんてことを延々と悩みながらやってたり、自分のお金のなさに直面してお金の為には働かなきゃでも正直動きたくない休みたいというジレンマにあったり。

そんな中で、その時の自分に出来ること・したいことを積極的にやって、しなくてはいけないことは最低限にして、様々な本を読んでは試し、前進しているのか後退しているのか分からないような状態を何度も何度も数年間の間に繰り返してやっと今のような状態になりました。

正直なところ、一日の間に全く首の締め付け感や胸を刺す痛みを感じずに生活できるようになったのはつい最近です。

それでも、疲れをやストレスを強く感じる場面だとこれらの症状は再発します。

なので、胸の痛みは今まさに感じています。昔を振り返ったからストレスからですかねw

それでもこの痛みを冷静に捉えて「あぁ、昔の状況に似てるのか。ちょっと無理してるのかな?少し休むか。」なんて考えてプラスな方向に行動を移せるようになりました。これも最初の内は「あぁ、また痛みがある。ずっとこのままなのか、治らないのか、死ぬまで続くのか…」みたいに考えていたので。

他には、もはや頭に浮かべたくもなかった『頑張ろう!』という言葉も最近はつかえるようになりました。

こんな感じで、症状自体が軽減したり、症状があってもそれを前向きにとらえられたりできるようになった感じですね。

以前のようにバリバリ動く・働くということはまだできませんが、自分に負荷をかけすぎない範囲で動けてとにかく生きていけるようになったのはとても嬉しいです。

と、「自分としてはだいたい治った」といような心持ち、身体的精神的な状況になるのに6年くらいはかかりましたよというお話でした。

全然まとめられていませんし、書ききれてもいませんが今回はこのあたりで一旦筆をおいておこうと思います。

コメント

  1. YushinYushin より:

    コメントありがとうございます。
    失礼だなんてとんでもないです。共感して頂いて、少しでも安心して元気になって頂けたならこの記事を書いて発信した甲斐がありました。

    たけさんもご自愛ください。

  2. たけ より:

    私も4年程前に涙が止まらなくなったり一時的に寝たきりになったりして仕事を辞めたので、読んでいて共感する部分がありました。
    自分と似たように感じている人がいると思うと、少し安心して元気をいただけました。(失礼に聞こえていたらすみません。)

    Yushinさんの今後が穏やかでありますように。

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