物事への取り組みの不安を考えて、イチローの引退発表で少し振り返ってみた。
共通する無意識
適応障害になった前と後で明らかに変わった事のうちの1つに『物事への取り組み始め方』がある。
なる前は
「よく分からんけどとりあえずやる、頑張る」
と取り組むことが多く、後では
「とにかく考えて納得できてからやる、やる中でも考える」
ということが多くなった。
なので、今は何かに取り組む前に「とにかく考えて・・・」で取り組み始めるけど作業中は「これでいいのか?」という不安が常にあってなかなか集中できない。
かといって「よく分からんけど・・・」だけでやるのは非常に不安。この考え方で大失敗したから。
これらをミックスした
「作業前にしっかり考えて、集中してやる」
ってことが最適なんだろうけど作業前に考えてる時は「これやってる間に作業進めたほうがいいんじゃ・・・?」と思ったり、作業に集中しようとしてるときは「まだ他にいいやり方が、そもそもこの作業自体じゃなくて他にやることあるんじゃ・・・?」と中々集中できない。
要するにどちらの考えも不安がつきまとってる。前の考え方は失敗したから不安、後の考え方はあまり実績がないから不安ってことかな。
じゃあなんで不安になるのって考えると、無意識に「時間は限られてるんだから”失敗”(自分の希望通りでない結果になること)はできない」って思ってるから。
どちらの方法をとってるにせよ、この無意識から緊張や恐れ、不安がでて集中できてない。
“希望通りじゃない結果は失敗で、意味がない”ってそんなはずないって分かってるんだけどね。
『仮定して実行して成功でも失敗でも結果をだして、希望する結果になるように修正してまた仮定して・・・』ってプロセスを踏めているってことが一番大事だと頭では考えてるけど、無意識ではまだそう思えないんだろうな。
今まで蓄積された無意識を変えるにはとにかく行動するしかないから、それまではひたすら言い聞かせて不安でもやっていくしかないか。
どれだけかかるんだろうな。まあ自分で自分にかけてる不安だし、いくら長引いたところでまたやられることはないでしょ。
少しずつ変わる
イチローが正式に引退発表した。
イチローのことは64の野球ゲームで遊んでた頃から知ってたんで馴染み深いけど、特に実家に帰ってからのここ数年の思い出のほうが強い。
というのも、実家に帰って最初のほうはなにをする気にもならなかったんで、遅めにおきてテレビ見るのが日課になってた。
朝のニュース時間帯が終わってワイドショーの時間帯になると途端に見たい番組が少なくなるんで、BSで何かないかなと探してだいたい行き着くのがMLBの中継。
まだイチローがバリバリ試合に出てた頃だったので、横になりながらぼーっと中継を試合終了まで見てたのを思い出す。
「数年たった今もやたらとだらだらするし、まだまだ生活リズムは不安定だし、あんまり変わってないな・・・」
と最近思ってたけど、イチロー引退を機に振り返ってみるとぼーっと中継見てた頃から結構変わってた。
起きる時間はアレでも1日中行動はできてるし、だらだらしてても自分の意志で切り上げられる。
なにより昔は「もうなにもするきがおきない」だったのが、「ちょっとやってみるか、気が重いけどやりたいな」って思えるようになってる。
いろいろと意味も違うし並べるのもおこがましいけど、イチロー選手も俺もパッと見変わってないように見えて少しずつ変わってる部分がやっぱりあるんだなと・・・。
そんなことを思った引退発表でした。イチロー選手お疲れ様でした。
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